原因食材の断定には至らず
堺市役所の本館正面玄関「O157堺市学童集団下痢症の碑/永遠(とわ)に」前で7月12日に「O157堺市学童集団下痢症
追悼と誓いのつどい」が開催された。同市教育委員会では、28年前の1996年7月12日に多数の学童が食中毒症状を発症したことから、毎年同月同日につどいを開いている。
「堺市学童集団下痢症」は1996年7月に学校給食を原因として発生した集団食中毒。児童7892人を含む9523人が腸管出血性大腸菌O157に感染し、3人の児童(2人は南区の児童)が死亡。併発した溶血性尿毒症症候群(HUS)による後遺症が残った児童も多数。発生から19年後の2015年10月には、当時小学1年生で同症を患いHUSを発症した女性が、後遺症により亡くなった。
南区では21校が食中毒
多発校47校は、北区の8校、東区の5校、中区13校、南区の21校だった。
堺市では2012年更新のホームページで「今回の食中毒は、自校調理方式でありながら47小学校で同時期に発生しているところから、食材が広範囲に大腸菌O157に汚染されていたものと推測される。また、北・東ブロックと中・南ブロックで同時期に別の要因で食中毒が起こったとは考え難いことを考慮に入れ、曝露日における共通の食材の検討」と、「今回の学童を中心とした集団下痢症は、未曾有の患者発生により、一連の対応の中で混乱が生じた。行政の危機管理の脆弱性が指摘され、実際にさまざまな課題を残した」と対策本部が公表しているものの、原因食材の断定には至っていない。